68歳だった。
私はその時、夫と娘が寝室に行った後のひとりの時間を満喫していた。録画していた番組をブルーレイディスクにダビングしながら、その日出たばかりの楽しみにしていたムック本を、チョコレートを齧りながらウキウキと眺めていた。すると夫が、ただならぬ様子で、携帯で通話をしながらリビングに入ってきた。
私はすぐに「何かあったのだ」と感じた。義母だろうか、義兄か義姉かーーー。私は咄嗟に夫の手を取った。
しかし、夫の言葉は私の予想を飛び越えてきた。
「三女から電話。あきが着信気付いてないみたいやからって」
三女というのは、関東に住む私の下の妹だ。私の携帯は、21時を過ぎると、緊急だと端末に見なされない限り、着信やメッセージがあっても、画面を開いたら通知が見えるが、音やバイブは鳴らない設定になっていた。以前娘の寝かしつけをスムーズに行うために設定していて、寝かしつけの役目が夫に移った後もそのままになっていたのだ。そのため連絡が来ていたことに気付かなかった。なので、三女は夫に連絡をしたのだ。
三女は泣いていた。
私は、自分の手足がスッと冷たくなるのを感じた。
「お父さんの心臓が、止まったって」
言葉の意味がわからなかった。
え?
どういうこと?
お父さん?の、心臓?
え?なんで?
だって、心臓って。止まったら死ぬやん。
実家で父と一緒に住んでいるのは母と次女だ。そして、次女から家族のグループラインに、父が救急車で運ばれたというメッセージが来ていた。三女もまだそれ以上はわからないと言う。
混乱した頭で、え、なんで?どうして?そんなことある?と話していると、次女がグループ通話に参加してきた。次女も泣いていた。母もその場にいて、病院の先生と話しているという。電話の向こうで微かに「…止めてもいいですか?……」と声が聞こえる。恐らく父へ施してくれている措置への言葉だろう。あぁ…そうか、もう、駄目なのか…、お母さん、お母さんが、あの言葉に返事するが?そんなことせないかんが?あんまり酷い、こんなことある…?
程なくして、母から、「お父さん亡くなった」というメッセージが届いた。
三女が小さく、「あぁ…っ」と声を上げた。私も膝から崩れ落ちてしまった。経験したことのない脱力感の後、ガクガクと全身が震え始めた。頭で考えるより先に涙が溢れ出す。
お父さん、死んでしもうた。
こんなに急に。
こんなことが本当にあるなんて。
こんなことが………。
だって、今日、ほんまについさっき、家族ラインに、髪切ったお母さんを見て「おっ。吉永小百合みたいやねえ」って笑いゆう動画が次女からきちょったやん。お母さんの髪型めっちゃかわいくて、お父さんニコッて笑って、私はいい動画やなーとか思いながら、保存ボタンを押して……。
身体に力が入らない。自分の輪郭がぼやけているような気がした。私は今ちゃんとここに存在できているのだろうか。なす術なく、電話口で妹たちとただただ泣き崩れる。次女は、お母さんはびっくりしすぎて涙も出ちゃあせん、と呟いた。母の胸中を思うとあまりに苦しくて、更に涙が溢れた。夫も隣で涙を流しながら背中をさすってくれた。娘は寝室で眠っている。
ふと「あき」と私の名前を呼んでくれる声が聞こえた。母の一番上の姉の旦那さん、私の伯父にあたる人だ。もう夜も遅い時間だったが、伯母と一緒に病院に駆け付けてくれたという。私は安心して、また涙が溢れた。おんちゃん、おばちゃん、お母さんと次女のそばにおってくれてありがとう、うちらぁも明日帰るき。あき、びっくりしたけんど、気を確かに持ちや。道中気を付けて帰ってきいよ。おんちゃんらぁも、みんなぁおるきね。これからしばらく大変やけんど、踏ん張りよ。
その後、仲の良い従姉妹からも着信があった。先程電話口に出てくれた伯父が彼女のお父さんなので、恐らく伯父から連絡があったのだろう。開口一番「あき、大丈夫?!」と泣きながら心配してくれた。また嗚咽が止まらなくなる。従姉妹はしゃくりあげながら言う。おんちゃん、最近はゆっくり話す時間もなくて、まさかこんなことになるなんて。私も返す。ほんまに、もう、意味がわからん、夢であってほしい……。
溢れる感情に身を任せてしまえたらどんなにか楽だったろうが、この通り、現実はそう甘くはない。
止まらない涙と身体の震えをどうにかやり過ごしながら、遺された私たちは、これからのことを考えなくてはならなくなった。
父が死んだ。
その事実だけが横たわる、真っ暗な夜だった。
ーーーーー
一睡もできないまま夜が明け、私は娘を連れて電車に乗っていた。関東から、三女と、三女の婚約者のJさんが新幹線に乗ってやってきて、私たちも新大阪から同じ列車に乗って合流した。娘は初めての新幹線だ。岡山で降り、特急列車に乗り換える。駅で買ったお弁当を食べて、ペットボトルのお茶を飲む。義母や義姉から、お悔やみの言葉と、私や家族を心配してくださるメッセージが届いている。義実家の皆さんも本当に驚かれたと思う。近々お邪魔する予定で、娘ちゃんのクリスマスと誕生日のプレゼントを準備しておくから!と楽しみにしてくださっていたので申し訳なかったが、今はそんなことは気にせず、心残りのないようにしておいで、と言葉をかけてくださり、とてもありがたかった。夜は眠れなかったが、やはり身体は疲れているので、30分ほどうとうとと微睡むこともできた。途中、Jさんが気を利かせて、娘ちゃんを見てるからふたりで話しなよ、と言ってくれたので甘えさせてもらって、私と三女で並んで座り、父や、母や次女、そしてこれからのことに想いを馳せた。窓の外には美しい自然が広がっている。
コロナ禍においての帰省のタイミングを完全に見失ってしまい、帰りたい、今なら帰れる?いやいや帰れない、帰りづらい、でも帰りたい、やっぱり帰れない、帰りたいけどどうしよう…とまごまごしているうちに、2年近い月日が流れてしまっていた。ビデオ通話の画面の向こうで娘の名前を呼ぶ実家の家族の声を聞くたびに、次帰ったら、空白期間分を埋められるくらい、娘とたくさんの時間を過ごしてもらおうと思っていたのに。この2年、待ちに待ったはずの高知への帰路。100%楽しい帰省旅行だったならどんなに良かっただろう。父が死んだというのに、外は容赦ないほどに快晴で、川の流れはきらきらと美しかった。
夕方前に地元の駅に着くと、伯父が車で迎えに来てくれていた。父の遺体は既に葬儀場に運ばれていたので、そちらに向かいながら、昨晩のことを話してくれた。連絡を受けた時には意識がないということだけ聞いていたから、車中で伯母と「入院になるろうかね」と話していたこと。病院に着いてから、心臓が止まっていると知って驚いたこと。父のお腹が普段の体型からは考えられないくらい大きく膨らんでいたこと…。本当に本当に、誰にとっても突然のことだったのだ。恐らく、父本人が一番驚いているだろう。
葬儀場に到着すると、出入り口に立って私たちの到着を待つ次女の姿がすぐ見えた。車を降りて駆け寄り、抱き合って涙する。父の異変に一番最初に気付いたのは次女だった。同じ部屋にいて、うとうとと眠っており、ふと父の方を見たら顔が白くなっていたという。すぐ母を呼んで、救急に連絡し、心臓マッサージをしたと。自分がもっと早く気付いてあげられたら良かった、意識を失い、口を半開きにしてぐったりしている父の顔が頭に焼き付いて離れないと、顔をぐしゃぐしゃにして泣きながら、私たちにしがみつく。次女がこれから抱える痛みのことを思うと胸が苦しくなる。次女のせいなわけない、誰がおっても同じようになっちょったよ、自分を責めんとって、と声をかけながら、ようよう建物の中へ入り、中で待っていてくれた伯母たちとまた抱き合って泣き、一段高い畳の部屋の奥にある父のお棺へと向かった。お線香の煙がゆらゆらと漂っている。
ゆっくりとお棺の小窓を開けると、そこには、見慣れた父の寝顔があった。
顔色こそ普段とは違えど、本当に、いつも通りの父の寝顔だった。
お父さん、ただいま。帰ってきたで。
遅くなってごめんよ。
娘もおるで。三女もおるで。
ねえ起きてや。
なんで起きんが?
なんでこんなことになってしもうたが…?
ほんまやねぇ、なんでやろうねぇ、と茶化して笑う父の声。
頭の中にはすぐ聞こえるけれど、実際に鼓膜が震えることはもうない。
いつの間にか黒から灰色に変わっていた、癖毛がちな髪の毛。ぷっくりと盛り上がった大きな涙ぼくろ。眉毛の福毛。ひげそりに失敗したらしい顎の傷。「実はイケメンじゃない?」と姉妹間でもふと話題になったりもした、いつもの父の顔。頬にそっと触れると、ひんやりと冷たかった。ぷすー、ぷすー、という聞き慣れた寝息は聞こえない。静かに、静かに眠っている。私たちを遺して、先に眠ってしまった。「お父さんは先に寝るぞね」とも言わずに。
急性心筋梗塞、というのが父の死因とされた。
静かに悲しみに浸りたい気持ちとは裏腹に、やるべきことは次から次へと湧いてくる。ひとまず今日の夕飯を買いに行くため、娘を妹たちに預けて、私は二番目の伯母とふたりで近所のスーパーへ向かう。買い物をしながら伯母は言う。
「あきちゃんねぇ、つらいけんど、ご飯はちゃんと食べて、出来る限り寝ないかんで。今そこらへんを疎かにしたら、告別式が終わるまでは持ったとしても、過ぎてから心も身体も一気にガタガタッとくるきね。お母さんも、次女ちゃんも三女ちゃんもそうで。そこを耐えるために、しっかり食べて寝ないかん」
本当にその通りだと思った。今私たちは、経験したことのない環境下に居るのだ。普段以上に気力も体力も消耗している。エネルギー補填と休息は、大袈裟でなく重要なポイントだった。告別式が終わっても、事後処理はまだまだ続く。伯母の言葉が強い実感を持って身に染みることになるだろう。この後私は、四十九日が終わるまで続く高知滞在の間の家族の食事の準備を、出来る限り請け負おうと決めた。専業主婦の面目躍如である。
葬儀場に戻り、伯母を見送りに外に出ると、表に父の名前と、お通夜と告別式の日程が掲示されていた。うわー、名前がレタリングシートになって張り出されることってそうそうないでこれ、人生最初で最後では…なんてことを思うと同時に、旧知の仲であり、父とも顔見知りである地元の友人たちへは知らせておいた方がいいなと思った。新聞の訃報欄には出していないが、葬儀場を通りかかったときに父の名前を誰かが見て、その人伝に彼女たちへ父の訃報が届く可能性もゼロではないと思ったからだ。言いにくいことではあったが、自分で伝えたいと思った。文面での知らせになったが、皆お悔やみの言葉と、私や家族への優しい気遣いを示してくれて、ただただありがたくて、また泣けてしまった。
夕食を摂った後、Jさんは宿泊先へ向かった。母と三女が葬儀場で眠り、私と娘、次女は家に戻った。葬儀場は家から徒歩圏内なので、夜の闇の中を、スマートフォンで灯りをつけて、手を繋いで歩く。満天の星が夜空に輝き、娘が「すごいねえ!きれいねえ!」とにこにこ笑っていた。娘がいてくれて本当に良かったと思う。彼女の存在は、私たちや家族の張り詰めた気持ちを、生まれる前からずっと、いつもやわらかくほどいてくれる。
そんな娘が、その夜、かなり激しい夜泣きをした。夜泣き自体は珍しくないが、その夜の暴れ方はいつも以上に激しく、長時間全く収まらないものだった。どうしたの?と聞いても返事をせずただただ泣き続け、やっと少し落ち着いたと思ったら、また私にしがみつき、部屋の隅を指差してこう叫んだ。
「だれかいるの!!!だれかいるよ!!!」
…あ。
娘、何かが見えている。
今見える可能性が高いのは…。
「ねえ、それ、じいじやない?」
願望にも近い問い掛けだった。娘は、それまでの激しい泣き方が嘘のように、ピタッと泣き止んだ。あ、なーんだ、みたいな顔をして。
娘を挟んで反対側に寝ていた次女も驚きつつ、娘に絵本を読んでくれて、娘はやっと落ち着いて眠りに就いた。次女と顔を見合わせて、「お父さんおるがやね…」と言い合い、それでも流石に疲れていたので、間もなく私たちも眠った。
嘘のような話だが、恐らく父はあのとき私たちと一緒にいたのだ。「むっちゃん、びっくりさせてごめんよ〜」とか言っていたかもしれない。うちらぁにも見えるように来てくれたらいいのに…なんてことを本気で思った。幽霊でもかまんき会いたいがやけどな。
ーーーーー
前の晩に眠れなかった分を取り返すように眠り、少し朝寝坊をした私たちが布団から出る頃、夫が大阪から車で到着してくれた。先に葬儀場に寄って父の顔を見てから実家に帰ってきた夫は、普段の寝顔そのまんまやったやん、と呟いていた。そうでね、と私も返す。これから父の顔を見てくれる人みんなみんな、そう思うんじゃないだろうか。そしてそう思えば思うほど、信じられない気持ちに拍車がかかるのだろう。
お通夜は夕方からだったので、午前中は、ここひと月ほど続いている娘の左目下のものもらいの治療のため、近所の眼科に行った。点眼している目薬がなくなったので、元々大阪でかかっていた眼科に指示を仰ぎ、こちらで改めて受診することになったのだ。問診票を見ながら看護師さんと話すときに「身内に急な不幸があって、急遽こちらに帰ってきて…」という話をしたら、ものすごく心配し、気遣ってくださった。待合室でも、他の患者さんたちが娘をかわいいかわいいと声を掛けてくれて、先生も優しくて、なんだか全部がありがたくて、あーもうなんかいつでも泣けるな今…という気持ちになった。泣かなかったが。これまで朝昼晩寝る前の1日4回だった目薬の点眼頻度を朝と寝る前だけに減らして、寝る前に軟膏を新しく試してみようということになった。この変更は本当にありがたかった。やはり告別式が終わるまでの間は普段通りのタイムスケジュールでいられるわけではないので、日中の点眼がなくなっただけでも、気掛かりがかなり軽減された。
受診後昼食を摂り、夫と娘がお昼寝している間にスーパーへ買い出しに行き、帰宅後すぐに喪服に着替えてバタバタと葬儀場へ向かう。父の従姉妹のおばさまや、以前住んでいた家の大家さん、父の詩吟の先生の奥様…顔馴染みの方が既に何人か来てくださっており、本当に急なことでびっくりしたね、寂しいねと涙してくださった。かわいい子やった、と従姉妹のおばさまが呟いて、ああ、父は私たちにとっては、父で、大人、という存在だったけれど、父より年上の方々にとっては、かわいい男の子だったのかもしれない、と思った。命って、生まれた順に成長していくけれど、必ずしも生まれた順に死んでいくわけではない。当たり前にわかっていたつもりだったけれど、本当には理解出来ていなかったのだ。こんな風に突然手の届かない場所に行ってしまうことがあるということも、誰にでも起こりうることだということも。
祭壇に飾られた父の遺影は、とても良い顔をしていた。約3年前、私の里帰り出産最後の日に、腕に赤ちゃんだった娘を抱き、母と並んで撮った写真だった。そうそう、お父さんってこうやって笑うでねーっていうような、見慣れた、いつもの父の笑顔だ。それでもやはり一切現実味を帯びず、相変わらず夢の中の光景にしか思えなかった。次女が泣きながら、悪夢やんこんなん、と言った。ほんまやね。ちょっともう、覚めるのが遅すぎるね。どうやらこれは現実みたいやわ。信じられんけど。
読経の間、涙はほとんど出なかった。その代わり、父との思い出だとか、自分の時はどうなるのかな、とか、コロナが少し落ち着いている時期で、自分やみんなが一緒に見送れることがせめてもの救いなのかもしれない、とか、これから先、様々な場面で父を思い出し、時には涙することもあるのだろうな…とか、色んなことがとめどなく頭を巡ったが、どうして私たちは横並びに座っているんだろう、ということが、私にとって一番の疑問だった。昨年頭にお父さんを病気で亡くしたばかりなのに、今度は夫の急死という、あまりにも辛い、しかし涙を流す暇もないような怒涛と混乱の時間の渦中にいる母。人一倍感受性が強く、自分がすぐ父の異変に気付いてあげられれば…と、自分を責め続けている次女。どんなに辛くてもいつもギリギリまで我慢して、気持ちを抑え込み、人のことばかりを気遣う三女。今ここで涙している三人みんなを抱きしめたいのに、私の腕は本数も長さも足りなさすぎる。いっそのこと遺族には円陣を組むことを許してくれればいのだ。そうすれば、遺された者たちは顔を突き合わせ、抱き合って、読経をやり過ごせるのに。馬鹿馬鹿しいかもしれないが、本気でそんなことを考えていた。
読経の後、参列者の方々が会場中央に移動してきた父の顔を見てくださり、我々遺族には、本当に急なことで驚いたね、とてもいい人だったのに、気をしっかり持って、何か今後力になれることがあれば言ってね、と励ましの言葉をたくさんかけてくださった。たまらず涙が溢れ、ぼたぼたと泣きながら、ありがとうございます、と繰り返した。やはりお棺の中の父の顔を見て初めて実感が湧いた方も多かったようで、眠っているだけのように思えるのにどうして、つらい、悲しいと涙する方もたくさんいらっしゃった。本当に、眠っているだけならどんなに良いだろう。あ、寝てしもうちょったわ、とか言いながら起きて来てくれたなら、どんなにどんなに良いだろう。風邪ひくき布団行って寝や、と小言を言うことはもう無い。父はもういない。父の軽トラックも、携帯も、服も靴も鞄も、持ち主を失ってしまった。
お通夜が終わり、親戚の皆は外食して帰るから一緒にどうかと訊かれたが、人数も人数だったのと、明日の準備もまだ残っていたので、私たち家族は遠慮した。その代わり、伯父が行く先の飲食店のテイクアウトを注文して帰り道に持ってきてくれると言うので、それを待つことにした。
母は明日の告別式で読む喪主挨拶の内容を考えていたが、何だか目がチカチカしてきた…と言うので、慌てて横にならせた。文章はほぼ出来上がっていたが、途中で文章を二重線で消した上に書き直したり、文章を別部分から移動させたり差し込んだりしていて、本番では読み難そうだったので、新しい紙に清書しておいた。昨日から本当に、色んなことと並行して、ずっと考えていたのだ。紙にも何枚か書き直しており、試行錯誤した跡が伺える。しばらくして起きてきた母に清書を見せたら、なかなかえいやん、と言って少し笑っていた。
ーーーーーーーー
告別式には、母方の祖母もやってきた。要介護で、足腰も悪く、もう車椅子での生活になっているが、義理の息子の急逝に居ても立っても居られず、いつもは渋るお風呂に自分から進んで入り、上の伯母とともに山を降りてきてくれたのだ。踏ん張りながら立ち上がって父の顔も見てくれ、大きな声を出してわんわん泣いた。
「あんた、そんなくにおっていくかよ、そんなことになっていくかよ。かなしいねえ、むごいねえ、むごいねえ…」
歳とともに少しずつ小さな子どものようになってきた祖母の泣き声が、式場に響き渡る。娘や孫たちで肩を抱き、慰め合って過ごした。
父の詩吟の先生と奥様が、式場で流せるようにと、父の詩吟の音源データを持ってきてくださった。思えば私たちは、改めて音源や映像で父の詩吟を聴くことはあまりなかった。本人がいつでも目の前で歌ってくれたからだ。父は、詩吟に限らず、歌がとても上手かった。演歌でもポップスでも民謡でも何でも、エンタメ性を交えて歌いこなした。でも、やはり詩吟は格別に上手かったと思う。抑揚や、声の響き、伸び方、迫力も圧倒的で、私はこれまで、父以上に上手な人の詩吟を聴いたことがない。娘バカかもしれないが。
祭壇を目の前にして聴く父の詩吟は、私たち遺族の胸を激しく締め付けた。聴き慣れた父の歌声。何だか既に懐かしさすら感じられて、また涙が溢れてきた。こんなに出るものなのだな。人間の60%くらいは水分だと言うが、今流れている涙もその一部なのだろうか。そりゃそうか。からからに乾いてしまう前にお茶でも飲まなな。ついでにお茶菓子でもつまみたい。甘いものを食べよったら、お父さんが「ちょうだい」って言ってきて、私は「いかん、食べすぎ」と怒るがやけど、お父さんは「えぇ〜?」とか言いながら勝手に取って食べるのがいつもの光景やったな。好きなものを我慢することができん、子どもみたいや、でも私もそういうとこあるわ、お父さんの娘やき…。
告別式には昨晩以上にたくさんの方が集まり、父の死を悼んでくださった。時間が合ったからと参列してくれた友達や、弔電を送ってくれた友達もいた。本当にありがとう。
事前に母から「喪主の挨拶、お母さんが出来んかったら、あきが代わりに読んでね」と言われていたが、母は挨拶を立派に最後まで読み終えた。手や肩は震えていたので、隣から母の背中に手を添えて、母とともに私も原稿に目を向け、母の声を聞いていた。いつもよりもはきはきと、気を張っている時の声だった。
程なくして父のお棺は、参列者たちの手によって、いっぱいのお花で埋め尽くされた。
お父さん、ありがとう、大好き、愛しちゅうで、と出来る限り伝えた。ありがとうは普通に言えても、お父さんに好きとか愛してるとか言うなんてこれまであったかな。なかったかもしれない。あってもふざけてだったと思う。
もっと言うちょけばよかった。例え言わんでもわかることでも、ちゃんと言うちょけばよかった、もっと、もっと、何回も何回も言うちょけばよかった。
なんでこういう後悔って尽きんがやろう。その時その時ではちゃんとしちゅうつもりながやけどなあ。
父との最後の時間の余韻を感じる暇もなく、お棺の小窓が閉まってからは小走りで車に乗り込み、バタバタと火葬場に向かった。
火葬場に到着するとともに尿意を感じ、我慢できるか…?とも思ったが、父との本当に最後の時に尿意に気を取られるのは嫌だ!と思い、猛ダッシュでお手洗いに行った。昔、友達とパソコンのメッセンジャーでしょっちゅう話していた頃、「トイレから戻るの早すぎない?」「トイレ行くねって席立った次の瞬間戻ってきてない?」「本当に出してる?」「スピード尿」等と色々言われたことがあるな、とめちゃくちゃどうでもいいことを思い出しながら用を足した。私は生きているので、どんなに悲しくても排泄はするし、どうでもいいこともふと思い出す。生きているので仕方のないことだ。
父の身体はエレベーターの扉の中のような所へ入ってゆき、私たち遺族や親戚も、そこで最後のお別れになった。一同合掌し、扉がゆっくりと、ゆっくりと閉まっていく。完全に閉まりきって、父の身体はこれから炎の中へと向かうのだ。後ろ髪を引かれるような気持ちで何度も何度も振り返る。私は皆の最後尾を歩き、従姉妹に肩を抱かれながらまた泣いた。
皆で色んな話をしながら昼食を摂り、子どもたちのじゃれ合いを見守ったり、皆の顔と名前を覚えたいからよかったら、というJさんのリクエストにより、集合写真を撮ったりしながら、父がお骨になるまでの時間を和やかに過ごした。春に3人目の子どもが生まれる予定の従兄弟と「健康、大事すぎる」という旨の話を切々とした。ダイエットとか筋トレとかいう身体作りもそうだし、私は家系の傾向として父と同様に糖尿病になるリスクが高いので、それの防止だとか、我々には健康上の課題は山ほどある。父と同じ轍を踏まないようにするのも、父への敬意の表し方のひとつだと思う。急逝した人の遺族の気持ちだって、身をもって体感しているのだから。
係の方からの呼び出しを受け、いよいよ父のお骨との対面の時間がやってきた。まずご遺族から代表でおふたり来てくださいますか、と言われたので、母と一緒に先程の扉の前に向かった。扉が開き、先程父のお棺が乗っていた台が出てくる。じりっとした熱気に包まれた父のお骨が、ゆっくりとこちらに運ばれてきた。母が私と腕を組んできた。唇をきゅっと結んで、寄り添い合いながら、父のお骨と一緒に、皆の元へと戻った。
お骨の部分の説明を聞きながら、皆でかわるがわる順番に父のお骨を骨壷へ収めていく。頭蓋骨がたまたま母と私たち三姉妹がいる方に向いていて、お父さんこっち見ゆうやん、なんて思った。熱かった?ゆっくりクールダウンしや。
さあ、帰ろう。
何日ぶりかの帰宅やね、お父さん。
父と一緒に自宅に帰り、お骨は仏壇前に組まれた祭壇に置かれた。手を合わせて、しばらくの間、祭壇の前にぼんやりと佇んでいた。ふと、天井近くに置いてある祖母の遺影に目を向ける。おばあちゃん、お父さんが近いうちにそっちに行くで。おじいちゃんと一緒に出迎えちゃってね。早いし急!!って、怒っちゃってね。
夕飯を摂って風呂に入り、夫が娘を寝かしつけに行ってくれた。Jさんは、お通夜・告別式にも来てくださっていたJさんのご両親と一緒にホテルに泊まっている。久々に、母と妹たちと、4人だけの時間を過ごした。これまでも父が仕事や用事でいない時間は女子会やねーなんて言っていたが、これからはもうずっと女子会だ。「我が家のお姫様方〜」なんてふざけて言ってきていた父の言葉が思い出される。
通夜・告別式は滞りなく終わった。
父のいない人生が、日常が始まった。
ーーーーー
朝起きたら祭壇に行って「お父さんおはよ!」と言い、「コーヒー飲みや!」と祭壇に供え、寝る前は「じゃあおやすみ!」と言って手を振る日々である。お通夜や告別式で手を合わせる時も、なんだか心の中でなんて言っていいかわからなくて、「おとうさーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!!」とだけ念じていた。ご先祖様へのお参りの時のようなやり方は、父にはまだ出来ない。これから先もずっと、出来ないような気がする。普段父に話しかけるような気持ちで手を合わせている。それでいいんじゃないかとも思う。
父の携帯を見ていて、メールの内容を覗いていたら、父と母のこんなやりとりがあった。
父「愛してる あなたを」
母「ちゃんと届きました。」
母「面倒臭い。」
なにこれ?!!!とめちゃくちゃ笑ってしまって、次女や母に聞くと、この時ガラケーからスマホに買い替えたばかりで、メールを送る練習をせねば、という流れで、真横に座っている母に宛てて父が送ったメールだったらしい。父が「返事をくれ」と言うので母が「ちゃんと届きました。」と送り、それに対して父が「違う!メールの内容に対する返事よ!!」と言って、母は「面倒臭いぃ〜」と口で言い、「面倒臭い。」とメールでも送ったという話だった。「だってほんとにめんどくさかったがやもん〜。わざわざそんなこと言わんでもかまんやん…」と母は苦笑いしていた。実にふたりらしいエピソードだと私たちも笑ってしまった。
父の携帯のスケジュールアプリには、父の仕事の記録と共に、特別なことが起きた日の出来事のメモや、私たちの誕生日、結婚記念日、親戚知人の命日、法事の日にちなども入力されていた。日記のようなものだ。父がこんな風に記録を残していたことに驚いた。いくら父親といえど、知らないことはいくらでもあるものだなと思った。
父の最後の食事は、マクドナルドのハンバーガーとラーメンだったらしい。たまたまその日に母が伯母と買い物に出ていて、久々に食べようか、と購入してきたものだったという。マクドナルドだけじゃ足りんかな?とラーメンも作ったと。父は何日かハードな仕事が続いて、亡くなった日も朝から夜まで動き回り、クタクタに疲れて帰ってきて、ご飯を食べてお風呂に入ってひと息ついていたときに起こった出来事だったらしい。実家では年に一回あるかないかのマクドナルドディナーが最後の晩餐になるなんて、すごい確率だ。こんなことになるならもっといいもん食べちょけたらよかったのにね、と母は笑っていた。本当に思いもよらないことだし、こんなことになるなんて誰も思っていなかった。普段よりいいものを食べてた方がなんだか不気味な気もする話だ。
母の叔母に当たる方が来てくださったとき、「私も夫を亡くしてひと月くらい経ってから体調を崩して点滴を打った。しばらくしてガタッとくることもあるき、あなたも無理せんようにね」と母に声を掛けてくださっていた。母は、少なくとも私の前では、葬儀の日以来、涙を流したりしていない。家に来てくださる方の対応や各種手続きに追われて心身共に忙しく、そんな暇もないのだろうと思う。
私の夫、三女、と順番に自宅に戻っていき、四十九日が過ぎれば私と娘も大阪に戻る予定だ。改めて母と次女のふたり暮らしが始まったとき、どんな風になっていくのだろう。今後への不安を堪らず吐露する次女に、ふたりで助け合って、不安なときは一緒におろう、と声を掛けていた母。私も滞在中出来る限りのことはするつもりだし、娘が家の雰囲気を和やかにしてくれているのも大変助かっているが、そうすればするほど、私たちがいなくなってからの家の静寂は強調されるだろう。実家を離れ、地元を離れるということ。若かった自分のした選択の重さを改めて思い知る。今更後悔しても遅いし、後悔すること自体を家族も咎めるだろうと思いながらも、そういった気持ちも抱かずにはいられない。勝手なものだな。
自分もしんどいだろうに、母は、娘や妹たち、私の心配もこれまで以上にしてくれる。寒くないかえ、これ食べや、少し休みや、毎日ご飯作るの大変やろう、もう寝や、お母さんはかまんき…。そんな母のために、私も家族も体調を崩すことのないように、いつも以上に気を遣って過ごしているつもりだ。
そういえば、従姉妹から電話がかかってきて、「やっほー!どしたが?」と言って出たら「やっほーじゃないわえ!心配して電話したがやろ!!」と怒られた。義母や義姉と電話で話したときも、明るく話してるけど無理しないでね、と気遣っていただいた。本当に、自分としては割と元気で、父の思い出話を周りのみんなとしながらお腹を抱えて笑うこともたくさんあるし、いつも通り冗談だって言うし、鼻歌も歌う。食欲だっていつも通りにあるし、睡眠も取れていると思う。食事を作るのもいつも自宅でやっていることだし、料理は得意ではないが好きな方なので全く苦ではない。これが空元気なのかどうかは、自分では判断がつかない。ただ、スーパーで父と背格好の似た人を見てハッとしてしまったり、食事をする人数を無意識に父を含めて数えてしまったり、リビングの扉が開く時、ふと父が入ってくるときの姿を思い出したり、そんな風なことならしょっちゅうあるし、恐らくこれから先も続いていく。思い出がある限り、そんな瞬間がなくなることはないのだろう。
悲しい気持ちを抱くこと、寂しさに涙すること、それを情けないと思う必要など全くない。自分の気持ちに正直に、抑え込まないように、都度表明し、誰かと共有して、自分の悲しみを理解しながら過ごしていきたい。もちろん家族にもそうしてほしいと思う。父の死を悼んでくださる全ての方が、そうしてくれたらいい。もちろん時間はかかるだろう。心を急かさず、ゆっくり受け入れていくしかないのだと思う。
父を愛している。父も私をとても愛してくれている。そんな父の突然の死が、心の底から悲しい。この気持ちを、家族や友人、大切な人たちと分かち合いながら、父のことを想いながら、これからも生きていきたい。これが今の私の正直な気持ちだ。
父の遺影を前にすると、まだ信じられない気持ちで、しばらくぼんやりと見つめてしまう。今にも喋り始めそうな優しい笑顔の父が、私のことを見つめてくれる。
お父さんに会いたい。
お父さんに会いたいなあ。
父の遺影を入れるフォトフレームを、今度探しに行こうと思う。
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とりあえず感想ね。
良すぎ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
これに尽きる。MA・JI・DE
同じ公演なのに一部キャストが入れ替わるだけでこうも印象が変わるのかと、改めてお芝居というものの奥深さを感じました。
まずせおっちのティボルト。愛ちゃんのティボルトはギラギラしつつもどこか冷静で、今自分はこんな感じで、そうなった原因もわかってて、せめてこれ以上悪化しないようにバランス取りつつ軌道修正する機会を伺っているような印象だったんですけど、せおっちのティボルトは、ギリギリでいつも生きていたいから〜♪AH〜♪(KUT-TUN)みたいな感じで、狂気に溺れるギリギリ紙一重の位置で踏ん張っている、でもほんとに「いつ切れるとも知れない危ない男」という印象だった。なんでしょうね?もうあの、抗える気がしない目力の強さ…。眼科で何か機械覗いたら遠くに気球見えるやつあるじゃないですか?あれをせおっちが覗いたら機械の方が壊れるのでは?みたいな…何を言っているんだ私は?とにかく目の圧がヤバかった。武器。生まれつきのナイフ。でもマーキューシオを刺した後、ちょっとハッと我に返ったような表情をしていたような…。愛ちゃんは完全に狂気に振り切って高笑いしてましたよね。面白いなー。
次にあかさんベンヴォーリオ。めちゃめちゃかっこよかった!そしてせおっちと全然違ったベンヴォーリオ!!すごい包容力。物理的に大きいっていうのもあるのかな。優しいニーチャンって感じ。そして歌うっっっま。「どうやって伝えよう」であかさんの歌い上げる系の曲初めて聴いたんだけど、ロミオが心配だっていう気持ちがひりひり伝わってきて胸が苦しくなった。声にも包容力が出てると思う赤さん。フカフカのお布団みたいな声なんだよな。あと、ぽっぷあっぷで言ってた「お芝居は人と人との関係性だから、ぴーのマーキューシオが好き勝手すればするほど私が包容力ありそうに見える」みたいな話をしてたのがすごく印象に残っていて、今日のお芝居見て確かに―!と思った。ぴーちゃんのマーキューシオがウヘヘアヒャヒャってしててもまあベンヴォーリオおるから大丈夫やろ…みたいな気持ちになったもんな。
そう、マーキューシオね。ぴーちゃんのマーキューシオ。ね。ぴーちゃんの…………………
好きです。
思わず昔懐かしフォント弄りなどしてしまいました。す、す、す、す、好きなんです、天華えまさん、好きですッ………アアァ…………。なんですか??????これ以上好きにならせてどうするつもりですか?????????大丈夫なんでしょうか私は????????????????胸が苦しい…。いやいやいや、ね、ちょっと落ち着いて話しますね。えーとね、まず演技が上手い。歌も上手い。ダンスも上手い。顔もいい。最高。なんかもうこんなことしか言えなくて私……。あのね、極美慎くんのマーキューシオは若さゆえの万能感も相まって世の中舐め気味なヤンチャカワイイ弟的存在、という印象だったんですけど、ぴーちゃんのマーキューシオは、ある程度色んなことを俯瞰で見て理解した上で「趣味で狂っている」みたいな印象でした。こうやって過ごすのが好きです、みたいなヒャッハーぶり。最高。ヘアメイクがまたいいんだコレ。蜘蛛の巣柄に刈り上げて、眉尻も剃って、それがまたよく似合うんだコレ!!!!!!確認したらルサンクでは眉毛普通だったんだけど東京公演から剃ったのかな?あれ?でもぽっぷあっぷで髪の毛だけじゃなくて眉の話もしてたような…。とにかく良さまみれでしたね…。くらっち乳母を壁ドンすることで「ヒッ……」て声出ちゃった。あとベンヴォーリオと喧嘩〜刺されて死ぬ流マジで辛すぎた。あのシーン毎回辛い。エグい煽り合いの歌詞、もうやめてくれえええってなる。色んな方の考察を読む中で「ティボルトとマーキューシオは環境さえ違えば良い友達になれていた」「似た者同士、揉めるのは同族嫌悪」っていう解釈を拝見して以来なおさら辛い。相手を煽る台詞が自分にも返ってきてるのかもしれないと思うともう…。
モンタギューのトリオとティボルトがAとBで年齢の印象も違って面白い。私的にはAでは愛ちゃんティボルトが一番年上、こっちゃんロミオとせおっちベンヴォーリオが同い年で極美くんマーキューシオが一番下っていうまんま実際の期に準じた印象で、Bはあかさんベンヴォーリオが一番上で、せおっちティボルト、ぴーちゃんマーキューシオと続いて、こっちゃんロミオが一番年下に見える。私個人の印象ですが。実際原作ではいくつなんやっけ。ロミオ16?宝塚版はちょっと変わってるんだっけ?
そう、愛ちゃんの死もめちゃくちゃかっこよかったー!!そりゃトレンド入りしますわっていう仕上がり。人ならざるもの、という雰囲気がムンムン。血も通っていないし体温も絶対ない。サラサラの髪が余計怖い。なんかでぴーちゃんが言ってた「手を伸ばしたくなるような死」像とは違って、身近に感じない、畏怖の対象としての死、という感じ。トート閣下に近いものがあるけど、もっと淡々としてる。でも体格がこっちゃんやぴーちゃんよりがっしりしてるのでその分迫力もあって、妖しくて…。ぴーちゃんの死ってすごい表情豊かやったんやなーやっぱり。でも愛ちゃんの死は基本的にスン…としてる分ふと表情を見せたときにすごくハッとする。やべぇ!と思うというか。面白いな〜。
あと希沙薫さんの愛もめっちゃかわいらしかった!男役さんなの?!いや、こっちゃんもさりお氏も男役やけどさ!すごく愛らしいひとだなと思った。愛ちゃんの死と並ぶと甘やかなお顔立ちとしなやかな動きがより映えて素敵だった。そして、だからこそ相反するもの感が際立つ。ぴーちゃんの死とさりお氏の愛の並びは表裏一体感があったなあ。遥斗勇帆くんの大公閣下もすごい迫力だった。ヴェローナのシーンで、いや、声量よwwwってなった。スカステで観た99期生のキャンプのやつでも言ってたなあ、声がデカすぎて怒られたとか何とか…。星組生らしい押し出しの強さを感じる。舞台人としては声量って宝だし、大柄でかっこいいので今後が楽しみ。
なんか役替わりにばっか言及してしまうけど固定配役メンバーもみなさんすっごく素敵でした!!こっちゃんの安定感半端無いし、くらっちの巧さに相変わらず舌を巻くし、あの子はあなたを愛しているで泣くのは最早お約束。あとすごく思ったのがなこちゃんお歌更に進化してません?!なんか高音の角が取れたというか、自然でまろやかになったというか…。ひばりのシーンで女性としての羽化を通り越してもはや包容力や母性を感じた。
そしてフィナーレが楽しすぎるのよ!!!せおっちのウィンクで黄色い声出たし、ラインダンスでニコニコしてしまうし、男役群舞で「クーッッ!!!コレコレ!!!」ってなるし、デュエットダンスでは毎回凄すぎてポカーンってなるし…。そしてポカーンとしてる内に楽しい楽しいパレードが始まって、あああ〜ってなってる内に終わるっていうね。
あーーーーー最高だった。あーーーーーーー。
そして、挨拶の間ずっと泣いてたし、配信が終わってからもしばらく涙が止まらなかった。画面に映り込む空っぽの客席や届けられない拍手が悔しくてもどかしくて仕方なかった。それでも「公演が中止になってしまい、楽しみにしてくださっていたお客様には大変申し訳ない」っていうみきちぐさんの言葉や「配信が出来ると思ってなかったので本当に嬉しい」っていうこっちゃんの言葉に、謝ることない、嬉しいのはこっちの方だよって思えば思う程泣けてしまって…。何でこんなに素晴らしい公演が満席の劇場で出来ないんだろう。何で組子みんなが一緒に舞台に立てないんだろう。この舞台だけじゃない、コロナが流行り始めて以降、ハロプロ内での解散コンやメンバーの卒コンを始めとする色んなコンサートの数々、びじゅチューン!EXPOやミッフィー展、娘の遊び、高知への帰省、家族でのレジャー、夫の仕事、友達との食事、そして宝塚歌劇…。私ひとりの生活をざっと振り返っても数えきれないほどたくさんのものが犠牲になっている。この状況は一体何なんだろう。一年前から改善されるどころか悪くなる一方じゃないか。このまま終わらないんじゃないのか?ゆるゆると世界は終わっているのではないだろうか?もう二度と「普通の生活」には戻れないんじゃないのかな…。そんな想いでいっぱいになってしまって、とにかく涙が溢れて止まらなくなってしまった。
でも、一通り泣いて、いやいやあんないいもん見せてもらったのに、あんなに素晴らしい舞台を作り上げて、私たちに届けてくださった星組の皆さんがいるのに、何を悲観的になっているんだ私は…と気持ちを切り替えられました。先が見えない状態で不安なのは皆同じ中、今出来ることを精一杯やっている人が沢山いるのだと、ひとりぼっちではないと思えたのは、大好きな星組の皆さんの、大好きなロミオとジュリエットという演目のおかげでした。感染防止対策をしての公演も、役替わりブルーレイの販売も、ライブ配信も、刻一刻と状況が変わっていく中で柔軟に対応して下さっていること、感謝しかないです。本当に本当にありがとうございます。ただただその言葉しかない。宝塚歌劇が、星組が大好きです。これからも微力ながら応援させてください。みなさまのご健康を心から祈っています。
情緒不安定なラブレターみたいになっちゃった。円盤の発売日たのしみだなあ!!
]]>昼食のときに次女とビデオ通話をしつつ一緒にお昼ご飯を食べる。娘が「次女ちゃん、だーいすき❤」と次女に言い、次女がその度大きく「きゃー❤」とリアクションしてくれるので娘もテンションが上がり、「だーいすき❤」「きゃー❤」「だーいすき❤」「きゃー❤」の無限ループに陥っていた。次女、おつかれ…ありがとな……
おやつにゆきさんがくれたチョコレートを食べたんだけど、娘が食べた赤いハートのチョコが多分色付けに食紅かなんかを使ってて、食べ終わった後の娘の口の周りが赤く染まってまあまあスプラッタな感じになっていてウケた。手も真っ赤。
いやあ、そんな感じで一ヶ月毎日ブログで日記書いたろ!と急に決めて今日までやってきたわけですが、日付偽装はしたけど一応完遂出来て良かったです。やればできるもんやな。でも私の中でブログって相当つらつらまとめて語りたいことがある時用の場所なので、やっぱり毎日書くのは結構大変だった。「別に書くことねぇ〜」と思いつつ何とか絞り出したりね…「これブログに書くほどのことか…?!」つってね…「Twitterでやれ!!!」ってセルフツッコミ入れつつね…。あと、こんな駄日記でも書くのに最低でも30分はかかってしまうので、夜の貴重な自由時間をそんなに日記に費やすのはもったいないなというのが正直な感想。あと、JUGEMのスマホでの編集画面が使いにくすぎるのもストレスだった。文字の大きさが不揃いだったりエラーが出てリンクが貼れなかったり…。ブラウザの問題なんかな。アプリは死んでるし。なので、やっぱり書きたいときにサクッとその場で完結できるTwitterがナンバーワン!という身も蓋もない結論に至りました。多分この謎チャレンジをやってなかったらロミジュリの話くらいしかブログ記事にはしてなかったろうな。でも面白い経験でした。またいつかもしかしたら気が向いてやることもあるかもしれない、人生は何が起こるかわからんものなので…。
予想通りのグダグダな〆ですいませんが一ヶ月間お付き合いありがとうございました!ほなまたTwitterで!
]]>公園からスーパーまですぐだったので自転車を乗ってすぐ降りないといけなかったんだけど、娘は割と自転車に乗るのを気に入っているので「おりない!もっとのるの!」とスーパーの駐輪場で駄々をこね始めて、「また帰りに乗るから!早く乗りたいんならお買い物早く済ませようよ!」と説き伏せて何とか降ろしたら「……だっこ!!!!!!!!💢💢💢💢💢」って絶叫されて笑っちゃったんだけど、抱き上げてふと見たら自転車5台くらい向こうにいる知らんおばちゃんが笑みを浮かべてウンウン…みたいな仕草をしながらこちらを見ていた。同じ状況下に置かれたことのある先輩なのだろうな…。
自転車のおかげでもはや毎日出かけたいレベルだけど、明日は黄砂が今日より更にヤベェらしく、出かけん方がええで…と蓬莱さんが言ってたので支援センター行こうかと思ってたけどやめようかな…という気持ち。せっかくお天気は良さそうなのに洗濯も憚られるなあ。
図書館では児童向けのシェイクスピアの本(ロミジュリも入ってる)や刺繍の本、あといつも通り絵本もたくさん借りた。筒井頼子さんと林明子さんの「とん ことり」を借りたんだけど、最高にも程がある。可愛すぎ。あのふたりの人生を終わりまで追いかけた過ぎる。もはや二次創作したいレベル。林明子さんの絵が素晴らしすぎる。「こんとあき」もいいっすよね〜。他の作品も全部読みてえ〜。
娘、絵本を出して「むっちゃんじぶんでほんよむね!むかーしむかしあるところに…」ってたまに言うんだけど、「昔々あるところに」っていうフレーズで始まるような古典的な昔話とか読み聞かせした覚え無いのにどこからそのフレーズ覚えてきたんだろう…すごいな…
最近「○○ってなに?」ともよく言うようになって、「あ、ホコリだ」「ほこりってなにー?」「粉みたいなごみだよ」「ごみってなにー?」「いらないものだよ」「いらないってなにー?」みたいな感じが永遠に続く。最終的にもう哲学みたいな質問になるし、多分娘もほんとに答えが知りたくて訊いてるわけじゃないんでは…と思うけど、なんかいちいち考え込んでしまう。もう、アレクサ的なのに答えを託したくなる。「ほこりってなにー?」「Wikipediaから引用します。埃(ほこり)は、繊維から出る糸屑(綿からでる綿埃(わたぼこり))、毛髪、ダニ、ダニの糞、カビの胞子、フケなどが空気中に浮遊している状態や床などの隅に集まっている状態である。目に見える状態の埃を構成している物体にはたくさんの色があるが、減法混色と、埃を構成している物体と物体の間に隙間があることから、埃は人間の目では灰色に見える………」みたいなね。アレクサ持ってないけど。多分娘も途中でどっか行っちゃってそうだけど。
明日で3月も終わりですね。つまりこのエブリデイ日記ブログも明日でひと段落です。特に面白いことは起きない予感がムンムンしているがまあ…グダグダで終わるのも私らしいっちゃ私らしいよね…。どうぞ最後までよろしくお付き合いください。別にブログが消滅するわけではないが。なんでかわからんけど左目が痛い。
]]>
お前が俺の相棒か…ヘヘッ、これからよろしくな!という気持ちでご対面。諸々の書類を記入してサドル盗難防止の鍵と娘のヘルメットを購入。娘、昨日までは「どんなヘルメット買うの?」と訊くといつも「きいろのへるめっと!」と言っていたんだけど、今日お店でずらっと並ぶヘルメットの前で「どれにする?」と尋ねたら「あかにするの」と即答したので赤色を購入。サイズは合ってるはずなんだけど、見慣れてないせいもあってか頭がヘルメットに食べられてるみたいに見える。可愛い。自転車には私だけが乗って帰る予定だったんだけど、娘が「むっちゃんものるのー!」と言うので、ドキドキしつつ娘も乗せて帰った。とにかくペダルが軽い!!ギアを一番重く設定してなお軽いこと軽いこと。一生足が疲れなさそう。安全第一で楽しく乗っていきたい。そして自転車に名前を付けたい。考えよう。少なくとも10年は乗る気満々ですよ俺ァ。
家の近所の公園に自転車を停めて、ネットで購入したレインカバーになる日除け用の幌を装着。これから日差しも強くなってくるので着けっぱなしで駐輪しとこ〜と思っていたんだけど、ここで問題発生。我が家の駐輪場は、なんて説明したらいいんかな…こう、前後ずらし型?ジグザグ?にラックが配置されていて、手前寄りのラックと奥寄りのラックが交互にあるんですね。で、うちが新しく契約したのは奥寄りのラックなのですわ。で、下段は横にスライドするんだけど、上段は固定なのですね。なので入れるときに上手いこと上段のラックとラックのちょうど真ん中あたりに自分のラックを持ってきた状態でヨイショー!と自転車を入れないといけないんだけど、なんせ重い車体をラックに滑り込ませないといけない上にラックが横にシャーシャースライドするもんだから停めるのにちょっと慣れが必要…。あと、チャイルドシートのバックレストを一番低くしとかないと上段につっかえちゃってきちんと奥まで駐輪できないので、結局幌はその都度着け外ししないといけなかった…。多分20インチとかの自転車ならまだ大丈夫だったんだろうけど、26インチなのであかんかった。夫に「新しい駐輪場ここだよ」って見せられた時「お、奥側だ!!!」ってなった時から割と心配は心配だったんだよな…他にも同じ奥側で26インチのリアチャイルドシート付き自転車が停まってるのは見てたんで、まあ…大丈夫なはず…とは思ってたけど、実際停めようとして一瞬ヒヤッとした。どうにか入ってよかった本当。「入らない」っていうのが一番最悪な展開だったので…。下段空いただけでもラッキーだったけど。手前側のやつならもっと良かったな(贅沢!!!!!)しかし自転車屋さんが言ってた「スライド式駐輪場の衝撃で自転車壊れる人多い」っていうのは納得できるなあ。駐車場もそうだけど、やっぱ平置きが最強ですね…今後マンション在住で電動自転車購入検討されてる方は自宅の駐輪場の確認も忘れずにどうぞ…。
13時から星組ロミジュリ大劇場千秋楽公園のネット配信を鑑賞。あーーーーーーーやっぱり最高!!!全編知ってるのに?知ってるからこそ?観劇した時より更に泣けて泣けて仕方なかった。画面をガン見しつつ手元の紙に色々メモというか殴り書きをしてたのでそれを元にざっくり感想。
・今日も今日とてぴーちゃんの死が最高
・「憎しみ」でのティボルトの「無理だよ…」にウッ…となった この一言に彼の葛藤が詰まってる、愛ちゃんすごい
・「いつか」の愛への希望に満ちたロミオとジュリエットの姿がキラッキラに眩しくて、この後起こる悲劇を思ってもう泣いちゃった
・「世界の王」でテンション最高潮!みたいなときにふと死とすれ違うのめっちゃ怖いな
・「マブの女王」改めて聴くとかなり音程低くてめっちゃ難しい曲だな
・舞踏会のシーンほんと好き、全部好き
・ロミオとジュリエット、全編通して手と手を合わせる振り付けや仕草が何度も出てくるけど、これは原作の「巡礼たちの唇は祈りのためにある、掌と掌を合わせるのが巡礼たちの接吻」っていうロミオとジュリエットの最初のやり取りに由来するやつっぽい?セックス・エデュケーデョン2期最終話のリリーの演劇でも出てきたよなこれ
・ティボルトが「本当の俺じゃない」を「んん〜♪」つって歌い出すの唐突な感じがあってちょっと面白い
・「綺麗は汚い」でマーキューシオ乳母にセクハラしまくりで笑う
・逆に訊くけど「あの子はあなたを愛してる」で泣かない理由ある?イントロからもうあかん
・ロミオの結婚に対して、マーキューシオは「は?!キャピュレット?!ふざけんな!!」って怒ってて、ベンヴォーリオは「何でよりによってキャピュレットなんだ…!」って落胆してる感じ
・若人たちの諍い見てる死の「ルン♪」って感じの笑顔…
・ジュリエットをぶったキャピュレット卿に思わず物申そうとするも卿の表情を見てグッと堪える乳母…
・神父さまからの遣いは何で手紙渡せんかったんよ!!!って思ってたけど、娼婦っぽい人らに誘われそうになった挙句死が扮した薬売りに間違った情報を教えられて別のとこ行っちゃってたのね…
・「ジュリエットの死」でジュリエットがロミオが起きなくてむーって膨れながらロミオの胸にコテッて顔を乗せて、それで心臓が止まっているのに気付いて…っていう流れが切なすぎる
・何度でも言うけどラストの絵画みたいな愛と死を宝塚の殿堂に飾って欲しい
・フィナーレのデュエダン今日もキレッキレだった 特にリフトなんですかあれ?なこちゃん「花に止まった蝶を横から見た図」みたいになってたけど?
ざっくり過ぎるけどこんな感じでした!!!全シーンに語るところがありすぎるようわあああああ5月の円盤発売楽しみすぎる。繰り返し観れるとか最高。ただ何故B公演はダイジェストなんよ!!!!!!!!全編入れてくれよ!!!!!!!!!!!!泣
あと「ぴーちゃんはお腹がペッコペコ」っていうメモもあった。死、常に飢えてて、美味しい食事を求めてる感あった。ロミオの分身、影のようにそっと寄り添って、色濃くなる死の匂いにうっとりして…。あ〜全編死のスターアングルくれ〜〜〜
B公演といえば、ビバ!タカラジェンヌというラジオ番組でぴーちゃんゲストの回があったことを恥ずかしながら今更知ったんだけど、radikoで聴けたので5万回流した。すっっっっっごい良い話沢山だった…めちゃくちゃ聞きたかった役作りのことや、死が憧れの役だったこと(MCの小山乃里子さんからえぇ〜?!って言われててわろた)小池先生にマキュの死のシーンを3時間お稽古してもらったこととか、鬘関連で振り回されまくったこととか、さゆみさんをびっくりするほど好きなことも…笑 全部の話が面白いし興味深かった。ぴーちゃんは「自分が」この役をする理由は何だろう?「自分だからこそ」出来る表現って何なんだろう?っていうことを真摯に考え続ける人なのだなあ。やばい。めっっっっちゃ好き。ううっ…天華えまさん…………す、す、好き…。ギギギ………シュキデス…………グガガ…………………。B公演は結局まだ一度も観れてないのでぴーちゃんのマキュの世界の王とマブ聴けてめっちゃありがたかった。歌上手いー!でも映像つきで観たいよー!!!!!!!!B公演ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!東京公演でまたB配信やってーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!円盤にならないならスカステでやってーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!あとぴーちゃん今公演のカフェブレ出てくれると信じてる ウッッッ………SUKI
忙しかったけど楽しい日でした。自室の掃除もしました。偉い。寝る。
]]>でもね、明日は晴れだし、待ちに待った自転車の納車の日でんねんまんねん。ひとりDAYの午前中を削ってでも取りに行くぜ。自転車という革命により、我々の世界は大きく変わると確信している。あーーーーー楽しみすぎて吐きそう!!!リアル「おっとっとっと…」にならないように安全運転を心がけます!!!まだ乗ってないけど!!!!!!!!!それとロミジュリの配信も観るよ楽しみジュル…ジュルル…早く明日にな〜れ
]]>快晴により「天満橋行きたさ」が爆発し、娘を連れて電車に飛び乗る。天満橋は元職場のある街、そして働き始める前も今も何だか好きな街だ。大川という川が流れていて、色んなお店があって散歩が楽しいし、京阪シティモールという駅直通のショッピングモールも便利。今回行きたかった主な理由は「大川が見たい」である。淀川でも寝屋川でもなく大川が良かった。娘と大川沿いを散歩したかったのだ。
しかし、大川沿いは桜ほぼ満開の土曜日ということで、引くほど人がいた。いや、まあ、そうだよね、そりゃそうだ、うん、わかってたけど、でも正直ここまで人いるとは思わんかったわ、桜もここまで咲いてるとは…。私の見通しが甘かったね、うん…。死んだ目で人混みの中を足早に歩く。昼食にと買ったマクドナルドの袋がベビーカーの荷物掛けで揺れている。モバイルオーダー今日初めて使ったけど、注文待ちの長蛇の列を横目にパッと入ってサッと受け取れて神システムだった。
結局川も桜も全然関係ない場所で昼食を摂った。桜は元々目当てじゃなかったし、川も橋の上から見たし…いいの、これで…。「天満橋行きたさ」を「今日」満たすことに意義があったんだから、いいの…。また桜の時期が終わった平日にゆっくり来ような、娘…。関係ないけどマクドナルドのメニューに枝豆コーンという名前の通り枝豆とコーンのミックスがあるのを初めて知って、どちらも娘の好物なので「ポテトとナゲットの他にも食べれるのあるやーん」と嬉々として購入したのに、娘、ひと口しか食べなくてウケた。普段貪るように食べてるのに何で???混ざってるから???
とりあえず空腹を満たし、しばらくベビーカーに乗ってりゃ寝るだろうと思って天満橋から京橋までポテポテと歩いたんだけど、娘は寝るどころか大声で「ゆりかごの唄」を繰り返し熱唱し、道行く人の「あら〜歌ってるの❤」ポイントを稼ぎまくっていた。「むっちゃんお昼寝しないの?」と訊くと「しないの!だって、げんきなんだもん!」と言われて面白かった。確かにめちゃくちゃ元気やな。
寝ろと言って寝るわけでもないしもういいかぁ…という気持ちでいたが、京橋の公園(というか広場?)で鳩を追いかけたりして歩いていたら急にぐずり始め、ベビーカーいや!だっこぉ!が始まったので、よし来た!と実に一年以上振りに抱っこ紐を装着した。自分で歩き始めてから大人しく抱っこされ続けるのを嫌がる時期があったのと、コロナの影響で出歩くことがあまりなくなったため抱っこ紐を使うことがなくなり、長らく防災用品と一緒に眠っていたのだが、最近ベビーカーを拒否し抱っこをせがむことが増えてきて、抱っこしつつベビーカーを押す大変さを身に染みて感じていたので、今日その状態に陥るのはしんどいぞ〜と思い、念のため持って来ていたのだ。抱っこ紐全盛期の頃に比べるともちろん大きく重くはなったが、素手抱っこに比べるとやはりめちゃくちゃ楽…。そして揺れによる誘眠効果も半端なく、秒で寝た。眠たくなっておでこを私の鎖骨のあたりにごしごし擦り付けてくる仕草や、歩きながら靴を脱がせた娘の足をなんとなくムニ…と握ってみたりするのも久し振りで、とても懐かしかった。あと何回抱っこ紐を使うのだろう。ベビーカーもそうやなあ。自転車買ったし余計に。まあそう言いつつちょこちょこ使うような気もするけど…。
スリーコインズに行くも目当ての品が無かったのでサッサと電車に乗って帰宅。地元の駅で目を覚ました娘が「むっちゃんのくつはー?」と言うので、降りて歩きたいのかな?と思い抱っこ紐から下ろして靴を履かせると「いやだあ!もっとだっこ!」と言われたので抱き直す。しかし結局歩いている途中で「ベビーカーのるの」と言い出す。娘心と秋の空…。
今日は夫が野暮用で夜に出掛けなければならなかったので、普段は夕食風呂就寝(寝かしつけ夫)のリズムなのを今日は風呂夕食就寝(寝かしつけ私)に変更。そのためいつにも増してバッタバタで、出掛けていたこともあって疲れ切っていた私は娘と一緒に眠りに就き、娘の夜泣きで変な時間に目覚め、朝方にこの日記を書いている。更新したら二度寝しようと思う。もうすぐ3月も終わるなあ。
]]>楽天のお買い物マラソン、たまたま自転車関連中心に必要なものが色々あるので初めて参加してるんだけど、買ったものの値段よりもらえるポイントの方が多かったりして「これ…いいの…?!」ってなっちゃうな。ポイ活ガチ勢的には茶飯事なんだろうか…。
割れた状態でズルズル使い続けていたスマホケースを新調した。使っていたのはLITTLE CLOSETという透明のケースに色んな柄のフィルムを入れてカスタマイズ出来るケースなんだけど、ガラッとスマホの印象を変えられてとても気に入っているので、引き続き同じものを購入。前のよりケースがしっかりしてる気がする。良きことよ。
ここ何日かな〜んかイライラモヤモヤする〜きもちわり〜〜いやだ〜〜〜と思ってたら月のものが来た。産前の生理不順がかなり改善された代わりに、産前はそんなに感じなかったホルモンの変化によるメンタルへの影響が産後は強く感じられるようになった。生理痛も23歳くらいのときに突然感じるようになったし(当時は生理痛だと気付けず脂汗をかきながら震える手で仕事をしていて、先輩があきさん顔が真っ白だよ!!!と言って早退させてくれたのをよく覚えてる)、ひとりの身体でもここまで変化があるのか…と驚く。人の症状にケチつける奴はクソのバカ。腹と腰が痛いよお。
急に思い付いてSOUL’d OUTの曲でよく聴く「アラ アアアァ!」っていうフレーズを娘にぶつけたらめっちゃウケてたのでiTunesで本物を流して「ほら!これが本物のアラ アアアァ!だよ」と伝えたけど、あんまピンと来てないみたいだった。
ところで自転車屋さんから「チャリンコいつでも渡せるで」という連絡が来ましたウオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!ほんとは今すぐにでも取りに行きてえが???!!!!!!!!突然娘を乗せて帰ってくるのは不安なので???????!!!!!!!!!!!!!!!ゆきさん休みの日に3人で車で行って??????!!!!!!!!!!!!!!!!私だけ練習がてら乗って帰って来ようかな?????!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!って感じデ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ス!!!!!!!!!!!!!!HOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!アラ アアアァ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
]]>お昼ご飯に無印のマッサマンカレーを食べた。ちゃんとお店でマッサマンカレーを食べたことがないのでマッサマンカレーの正解を知らないのだが、このマッサマンカレーはすごく美味しくて好き。毎日でも食べれる。無印のカレーはバターチキンカレーが一番人気のようだけど、私はバターチキンカレーはお店・レトルト問わず元職場のバターチキンカレーしか勝たんと思っている。元職場のバターチキンカレー食べたい…。元職場及び近隣店舗は全て顔見知りのスタッフがいるので、行くの別に嫌ではないんだけどちょっと気を遣ってしまう。私の性格上、なーんか客として気軽に行きにくくなるので、お気に入りの店で働くのも考えものだな…という感じ。
おやつの後実家の家族と喋る。生きていると色んなことがあるけど、各々なんとかかんとかやっていくしかないね人生…。家族の存在には本当に助けられているなあと実感する。いつもありがとな…。
大奥19巻、特装版の存在を知らないままウオオオオオオオオと通常版を買ってしまった。本編は言わずもがなめっちゃ良かった…やっぱ特装版が欲しい。今は在庫どこも無いっぽいけど重版かかってて再入荷されるという情報をTwitterで見たので来月くらいには買えるかな。
ソーイング・ビーが終わってしまった〜。シャーロット優勝おめでとう!エンドロールの前に最後の出演者たちのその後が流れる演出もめっちゃ良かった。新シーズン放送もめっちゃ嬉しい!!クローディアから司会が変わるので寂しいなあ。でもメイからエズメに変わった時みたいに受け入れられるといいな。エズメもめっちゃ良いんだよな、毎回スタイリングも素敵だし、審査も服への愛とユーモアが感じられる。存在感抜群だから普通にしてると忘れちゃうけど、パトリックを見上げるときに感じられる「物理的な小ささ」にもほのぼのする。パトリックが人よりでかいっていうのもあるんだけど。
娘の泣き声、今日も聞こえてこない。昨日も夜中起きなかった。お、落ち着いた、のか…?!油断は大敵だが精神的に楽になったのは確か。睡眠、大事…。
]]>公園にある桜の木は五分咲きといったところ。近所の幼稚園の子どもたちが遊びに来ていて、その中の何人かがビニール袋を持って、地面に落ちた桜の花を拾い集めていた。それを見ていた娘が無言で自分の足元にある桜を拾い始め、かと思うとビニール袋を持った男の子に駆け寄って拾った桜を渡した。男の子は照れ臭そうに受け取ってくれた。「お手伝いしてたん?」と訊くと「うん!もっとするの!」と言って、宣言通り園児たちが帰るまで拾っては渡しに行き、拾っては渡しに行きを繰り返していた。みんな、受け取ってくれてありがとうな…。
明日、今日みたいに天気が良かったら娘と一緒に久々に電車で街まで買い物に行くかな〜と思ってたんだけど、なんか微妙な天気っぽいな…。ベビーカー必須の道程になりそうなので、雨が降られるとアウトなのだ。スリーコインズでシャボン玉が出る魔法のステッキがあるらしくて、娘用に欲しくて欲しくて仕方ないんだけど、人気商品らしいし望み薄かな…。うーん。明日の天気の感じ見て決めるか…。
ていうか、今のところまだ寝室から娘の泣き声が聞こえてないけど、もしや寝かしつけ上手くいってる?!おお…ありがたや…ひとりタイムがあるだけでも気持ちが楽だ…。夜中に起きて泣くのはまたあるかもしれんけど…。そん時はそん時でファイッ!!!
]]>真っ暗闇のリビングで「見て、真っ暗やね、今は夜だから真っ暗、夜はねんねの時間だよ」と娘に話しかけ、娘も泣きながら「まっくらね、よるやね」と答えてくれる。落ち着いてから寝室に戻り、夫に「八つ当たりしてすまん」と謝り、娘を夫に託し、もう一度ひとりで真っ暗なリビングに戻り、思う存分泣いた。無力感と絶望感に打ちひしがれ、タオルはあっという間に涙でびしょびしょになったけど、ああ、泣けてよかったな、と思った。
夫は泣くことは弱さの証だと思っている節があり、私が何かをつらいと感じて泣くたびに「もっと強くならないといけない、母親なんだから」と言ってくる。でも私は泣くことはいいことだと思っている。私は本当に涙脆くて、喜怒哀楽全てにもれなく涙が付いてくるような人間なのだけど、自分の気持ちに正直になれている証だと安心出来る。大河原美以先生の著書「ちゃんと泣ける子に育てよう」を読んで殊更そう思うようになった。涙を抑え込んで、そういう気持ちを無かったことにする方が不健全なのだ。私はそういう人間なのだ。夫と私は違う。なので私はつらいときも夫の前ではなるべく泣かない。面倒なので。小花美穂先生の「こどものおもちゃ」で羽山が言っていた「泣きたくなったらオレんとこに来い」という台詞の懐の深さが、今になってよくよく沁みてくる。ゆきさんのスタンスを批判してるわけではないけどね。
一通り泣き終わって落ち着いた後、今の自分の気持ちを細かく紙に書き出して整理した。これもこどちゃで実紗子さんが言っていたことだ。折に触れこの行為にもかなりお世話になっている。こどちゃが人生のバイブルすぎる。そしてこれは「ちゃんと泣ける子に〜」て書かれていた「感情の社会化」にも通ずるのではないかと思っている。私はもう大人なので、自分の中から適切な言葉を見つけて、自分の感情に自分で名前を付け、明確に「あるもの」として社会に出す。それで楽になる気持ちが確かにある。
こうして自分に施している感情の社会化を、娘にもちゃんと実行してあげられたらいいなと思う。彼女自身も身体や脳に毎日ものすごい変化が起きているのだ。この夜泣きの復活もその影響だろう。私や夫も人間なので、つらい、しんどい、いい加減にしてほしいという感情がどうしても生まれてしまうし、今日の私のようにその感情が決壊してしまう日もあるだろう。でもこれが無意味なものではないということはちゃんとわかっているつもりだ。どうにかこうにか、なんとかかんとか、この山を乗り越えたいなと思う。自分自身も落ち着かせてから寝室に戻る。夫は寝ており、娘は無言で起きていて、布団に入った私のそばに来て少し泣いて、寝転がってトントンしていたらしゃくりあげながら眠りについた。
翌朝、寝不足で我々が酷い顔な中、娘は全開に元気。若さ。
午後、自転車屋さんから自転車の在庫が確保出来たとのGOOD NEWSが届き、大いに沸く。遂に…遂に自転車ライフが確実なものとなったのだ…。アクセサリー類を先に買っておくべきか、と思って今色々見ている。娘のヘルメットは実際お店で見て買った方がいいかなあ。重いと大変だろう…。チャイルドシートのカバー…バッテリーロック…ドリンクホルダー…嗚呼、キリがねえぜ……
ル・クルーゼで炊いた野菜ピラフが美味しすぎて「うまい…うまい…」しか言えなくなった。
寝不足だったので夜娘を寝かしつけて日記を書くも書き上げられないまま寝てしまい、起き抜けにブログを更新。日付偽造は許してください テヘヘ
]]>ヒーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
正確にはネットでポチって注文が受け付けられているだけの段階で、これから注文したお店がメーカーに在庫を問い合わせて、確保出来れば注文確定となるようだ。どうなるかな。買うならこれかなあと思っていた色は欠品していたので、第二希望の色にした。といっても普通に好きな色なので、別に妥協したわけではない。在庫が今後復活するかわからん色のために待機して他の色まで欠品・永遠に在庫がないまま…なんてことになってしまう方が不都合だ。
購入した商品は近所ではどこにも店頭取扱がなく、結局実物は一度も試乗するどころか見たことすらないままの注文となった。まあ、どんなものでも乗り始めれば余程のことがない限りは適応出来るだろう。しかしこの商品、カタログでスペックを確認した際にはタイヤの太さは43mmだと書いてあったのに、自転車屋さんに「子ども乗せ電動自転車はサイズ関係なく基本的に全部タイヤ幅5センチくらいはありますよ」とか言われて、「うそん!!!?メーカーに確認しよ」つって自転車屋さんを出てすぐ公式の相談窓口に問い合わせたら「5センチ…くらいです」とか言われて、なんかもう、ハァ?????????という気持ちになってしまった。じゃあここに書いてある「43mm」っていうのは何なんだ。こちとら停められる自転車は5センチまでやでっていう利用規約を満たすためにこの機種選んどる面もあるんやが…。「5センチ弱ですか?5センチ強ですか?」と訊いても「5センチ…くらいです」としか言わない。もはや何を見て言ってるのか謎すぎる…。
あと自転車屋さんには「スライド式の駐輪場に自転車停めるのはおすすめしませんね〜隣とぶつかってタイヤ曲がったりして修理来られる人いっぱいいますよ」とも言われた。次に借りる予定の下段の駐輪場はスライド式だ。もうそんなん言われたらワシら自転車買われへんやないか。
言われたことをいちいち全部気にしていたら買い物が出来ない。もう仮にタイヤ幅5センチ以上あったとしてもカタログには4.3センチって書いてんだからそっちを信じて文句言われればカタログを突きつけてメーカーに文句を言えと啖呵を切れば良いし、スライド式云々ももうそういったリスクを承知の上で買やいいんやろ!!!と半ばキレ気味で購入ボタンを押したというわけだ。こんなんでいいのか?笑
でもいざ購入した今、大変晴れ晴れとした気持ちである。まだ在庫があるかわからん段階なのにもう完全に買った気でいるし、どこ行こう?!という妄想が止まらない。電車で一駅とか二駅ぐらいの距離ならホイホイ気軽に行けるようになるし、もっと遠くへでも足を伸ばせる。世界がグッと広がるのだ。ときめきが身体中に広がり、既に爽やかな風に吹かれながらペダルを漕いでいるような気分にすらなる。でもこんだけフワフワ浮かれてる時に限って「在庫無いっす‼トホホ…💦」とかいう無慈悲な連絡が来るような気もする。もう天に委ねるだけだ。在庫がなければまた仕切り直せば良い。自転車が無くても日は登るのだから。
関係ないけど今日娘がタラのバター醤油ムニエルを一人前完食しました。確変!!!!!!!!!!!!!!!!!そういえば1歳半健診の時に「次の健診までかなり間が開くから、もし心配なら半年後に予約制の無料健診あるけど受ける?」って訊かれたのでお願いしていて、その健診を元々予定してた時期よりずれたけど来月やるで〜というお知らせが届いた。娘、成長具合はどんなもんだろう。相変わらず偏食だが、少食は少しマシになってきたような気もする…うーん…………まあ……そんでも少食は少食やけど…………まあ……………ね……………(モゴモゴ言いながらFIN)
]]>朝食の後、昨年娘の誕生日のデコレーションに使おうと思って買っていたのにすっかり忘れて未使用のままになっている風船のことを思い出し、ひとつ出して膨らませたら、娘が「ふうせんって、たのしー!!!!!」とめちゃくちゃ喜んで遊んでいた。雨で外に遊びに行けないの可哀想だなーと思っていたが、風船で一日持った。ブラボー風船。サンキュー風船。そして寝る時に「ふうせんといっしょにねるの!」と言って寝室に抱いていった。ペネロペ、まさかの風船に敗退。誰も誕生日ではないが「happy birthday」と書いてある青い風船よ…。
自室の机の上に画材や書籍類が山ほど置いてあり、それを退けるのが掃除をする上での最大の面倒なので、引き出しの中の整理をして空にし、その中に出しやすい状態で丸ごと入れて、机の上に何も置かないようにしようと思い立ち、リビングに引き出しを全て持ってきて中身をぶち撒け、整理整頓に勤しんだ。分別して別の箱に入れ替えたり処分したりして、3つある引き出しの内1つは空になった。ここに今机の上にあるものを入れ込めば、かなり掃除がしやすくなる。毎日使えれば埃が溜まることもなかろうが、なかなかそうもいかないので、こういった努力もQOL向上に繋がることだろう。私が溜め込んだキーホルダーやら缶ケースやらの中から娘がお気に入りをいくつか選び出し、「これ、むっちゃんのたからもの!」と言ってニコニコしていた。私の宝物は君だよ(真顔)
図書館で借りたシェイクスピア全集のロミオとジュリエットを読み終わったのだが、な、な、なんというか、えーと…あんまり響かなかった……。あー原作ではこういう流れなのか、というのはわかったけど…。戯曲なので小説のように細かい心理描写などはないことは承知していたけど、よくこの戯曲からあの宝塚版の世界観、というかフランス版の世界観が生まれたな!みたいな…。とにかく登場人物たちのあまりの口の悪さ、下衆さ、人への思いやりのなさに所々引いてしまった。「どうでもいい場面であんなに喋り散らかしといて見せ場ではえらいあっさりしとんの!!!」っていうような場面もあったり…(マキュ死の後のロミオが特に気になった)私が想像していたのはコテコテに詩的な世界観どっぷりの悲劇だったのだが、訳文が時代のせいもあってかかなりべらんめえ口調っぽくて、シェイクスピアを読んでいるというより落語の文字起こしを読んでいるような感覚になった。特に若人たちや下人たちの会話は「ここヴェローナじゃなくて江戸じゃね?」と強く思ってしまう。言語や文化特有のジョークが多いのでそれに関する注釈が多く、本文と注釈の位置関係も読みづらくて…とにかく世界観に入り込めない。英語の原文読んだ方がまだわかるのでは。正直に言いますね、クッソつまらんかったどす。もうちょっと現代風の読みやすいやつ探そう…。シェイクスピア初心者にはハードル高いやつだこれ。収録されている他の作品も一応読んでみるつもりだけど、読み終えられるかはわからない。
マジで娘の寝付きがあまりに悪いので、明日から昼寝の起床時間を早めることにした。体力がついてきて今まで通りのスケジュールでは気持ち良く眠りにつくことが出来ないのかもしれない。これで事態が好転するといいな…抱っこゆらゆらで寝かしつけたん久々やった…。でも眠いのに寝れないのが本人としても歯痒いのか、私に「おかあさん、(寝るのの)おてつだいしてよお!!」と言いながら抱っこを求めてきたのは初めてだった。成長。
]]>昨日ポチったペネロペのぬいぐるみが届いた。早い。光速。娘、すごく嬉しそうだし、興奮して突然「ペネロペ!ペネロペ!ペネロペペネロペペネロペペネロペペネロペペネロペペネロペペネロペペネロペペネロペペネロペペネロペ」と叫ぶ等していた。よかったね。
ふと家に画用紙があることを思い出し、ペネロペの壁飾りを作る。壁飾りと言っても、ペネロペの全身図を作って壁にマスキングテープで貼り付けるだけだ。昨年の娘の誕生日兼クリスマスにアンパンマンとバイキンマンのものを作り、それを娘が気に入ってくれたので今も貼ったままにしているのだが、その2体の間にフワ〜と浮かんでいるようなレイアウトとなった。形が崩れていても、元の画風的にそれが味になるような気がするのがペネロペのいい所だ。
しかし、おむつ替えのときにまた娘の謎かつ大規模なギャン泣き&イヤイヤが発生し、「おむつはかないの!!!」「じゃあはかんでいいよ…」「いやなの!!はくの!!」「じゃあはきなよ」「いやなの!!!」「はかせてほしいの?」「いやなの!!!!」「じゃあはかんでいいよ」「いやなの!!!!!」このやりとりを永遠に繰り返して時間が過ぎゆく。私のメンタルも、突然電気のブレーカーが落ちるかのようにバンッ!と?終わり?を迎えてしまった。
家を飛び出してハワイに飛びたい気持ちをグッと堪えて(なおハワイに行ったことはない)娘の泣き声をどこか遠くに感じながら「壁のペネロペ剥がしてゴミ箱にブチこんだろかな…」と大人げないことを考えていたら夫が帰宅。全てを丸投げして夕飯準備に逃げた。料理は良い。無心になれるし、美味しいものが出来上がる。料理は最高。ひとり暮らしの時に気付いてれば良かった。しかしあの頃の私に料理を楽しむというメンタルの余裕は無かっただろうなとも思う。今の環境下の私だから理解出来るようになったのだ。ズレた間のワルさもそれも君の?タイミング?ってか…。調理中に夫に促された娘が「ごめんなさい」と謝りに来た。こちらこそ、豆腐メンタルなカーチャンでごめんな。
お風呂で娘の「自信満々に歌ってるけど歌詞が最初から最後まで全部違うABCの歌」と、ゆきさんの「金タマの裏にたまたま出来たニキビ」というくだらないダジャレでゲラゲラ笑って1日が終わった。久々にひとりでビールでも飲もう…。
]]>「管理人さんが、駐輪場の下段空いたからこの書類書いてくれって」
「はい???????!!!!!!!!!」
私は大声で叫んだ。いやいやいや、嘘やろ??早すぎん???管理人さんに話したのついこの前やん????そんな都合良くすぐ空くもん?????
しかし確かに書類はそこにある。しかも出入り口からすぐの所、かなりの好立地だそうだ。私は狐につままれたような気持ちで呆然と書類を受け取り、再度散歩に出かける2人の背中を見送った。
書類には駐輪場に停める自転車のサイズを記入しなくてはならず、まだ何を購入するか決めていないのですぐには書けないが、何ということだろう、ほぼ諦めていた電動自転車が再度購入候補に上がってきたのだ。こんなことある???未だに信じられない。とにかく早い所何を買うか決めなければならない。ヨドバシにまた行こうかと思ったが、定期点検や修理等のアフターケアのことを考えると、地元の行きやすい距離にある自転車屋さんの方がいいかも…という気になってきた。お店を見繕ってそこで改めて試乗させてもらうか…。いやしかし激動すぎる。正直全く当てにしていなかった下段の駐輪場がこんなに早く空くなんて…。年度末でぽつぽつ引っ越しもあるようだし、タイミングが良かったのかもしれない。今度管理人さんに会ったらお礼を言わねば…。
というわけで、近々自転車問題にカタがつくかもしれない。今月中にどうにかなるかなあ。ドキドキである。
少し前に公園でシャボン玉の液をこぼしてしまった娘の靴を、今日やっと洗った。なんか知らんけどこぼした跡が日に日にめちゃくちゃすごい汚れ方になって、早よ洗わな早よ洗わなと思いつつタイミングを逃してしまっていたのでとりあえずひと安心。
最近アマプラで本国イギリス版のソーイング・ビーを観始めたんだけど、名前を載せる人数が多いからか番組最後のスタッフロールのスピードがえらく早くて笑ってしまった。日本版は割とのんびり流れて行くのだが、本国版はとにかく早い。あわてんぼうのスタッフロール。しかし私が最初に見たシーズン(ちなみに本国のシーズン2)、途中から番組の存在を知って観始めたので一回戦からちゃんと観れるのめっちゃ嬉しいなー!日本版のように30分で区切られず、各回が1時間ノンストップで観られるのも良い。日本でもこれで放映してくれ〜。回数と枠の問題なんやろうけど…。
ここ何日か娘の寝付きが悪く、シカトを決め込むには心苦しい声がリビングまで聞こえてくるので、私も用事を切り上げて寝室に入ることがある。ペネロペを観せろ観せろと駄々をこねていることが大変多く、酷い時は真夜中に突然起きて、ペネロペを観せない限りギャン泣きし続けることもある。なるべく観せたくないのだが、深夜にあんな風に泣かれるとお隣さんのことも気になり、結局観せてしまう。それに味を占めて泣いている節もあるのではと思うくらいだ。5分のアニメがあんなに長いと感じることはない。どうにかせねばと今日遂にペネロペのぬいぐるみをポチッてしまった。家に私の趣味で腐るほどぬいぐるみはあるので正直これ以上増やしたくなかったが、純粋に娘の好みで買ったものはアンパンマンしかないので、それも気の毒かと思ってのことだ。ペネロペが実際に寝室にいることでNetflixを諦めて…くれるだろうか……甘いか………?拍車がかかるだけかな………?
3歩進んで2歩下がりつつ明日もどうにかこうにか生きていく所存。おやすみなさい。
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