新年も始まって一週間経ったことですし、昔の話でもしましょうか。大すきなひとがいたんですよ。隣のクラスで、背が高くて色黒で、サッカー馬鹿で、世話焼きで、気付いたらあたし達の代のサッカー部キャプテン兼生徒会長とかやっちゃったりするようなひとでした。そのひと、えー、高瀬くんとしましょう。高瀬くんの存在を初めて知ったのは、血迷って生徒会役員選挙に出た挙げ句何故か当選してしまい、帰りたい、帰って死にたい等と思いながら役員顔合わせに参加した日のことでした。高瀬くんの姿を見て、あ、って思ったんです。何かわからんがあたしこのひとのことめちゃくちゃすきだぞ、と。俗に言う一目惚れってやつなんでしょうかね。高瀬くんは少し照れ臭そうに、学年とクラスを言って、役職と名前を言って、最後に、よろしくお願いします、と言って笑いました。ああ、笑顔可愛いなあ。すきだ、大っっっすきだ。まだ高瀬くんのことを微塵も知らないのに、あたしは既に彼の虜だったのです。
あたしは、高瀬くんの傍にいると、いつも以上に自分の言いたいことややりたいことが出来なくなりました。高瀬くんが近くにいるだけで息苦しくなって、手や声が震えて、泣きたくなってしまいました。こんなあたしはどう映っているんだろう、そう考えては、消え去りたくなる。隣でご飯を食べているとき、自分の食べ物を咀嚼する音がやけに大きく感じて、もしかしたら高瀬くんに聞こえてはいないだろうか、汚いと思われたらどうしよう?いつだって自意識過剰は膨らんで膨らんで膨らんで、あたしは高瀬くんと一緒にいればいるほど、ぱんぱんになったビニール袋みたいに、でくのぼうで役立たずになってしまいました。
そんな風なので欠片も仲良くなれる筈はなく、あたしはいつも高瀬くんと仲の良い女の子たちに嫉妬ばかりしていました。優しくて人気者の高瀬くんをすきな女の子は、たくさんいたと思います。あたしなんかきっと気にも留められていませんでした。なのに、いや、だから、なのかもしれません。あたしはある日暴走して、何の考えも無しに高瀬くんに告白をしたのです。結果はもちろんノー。あたしは泣いて泣いて泣いて泣いて、これ以上無いってくらい後悔してしまって、それでも高瀬くんは優しくて、あたしに少しずつ話し掛けてくれるようになりました。だから、告白をきっかけに少しだけど打ち解けることが出来たと言えば聞こえは良いかもしれません。ただ、おかげさまであたしは中学卒業どころか別々の高校に入っても、まだ高瀬くんを忘れられませんでした。全く違う通学方法、遠く離れた家の位置。会いたくたって会えない日々。このままじゃ駄目だ、最後、最後に一度だけ、一目だけ姿を見て、ちゃんと諦めよう。そう決心して、友達に着いてきてもらった高瀬くんの高校の
文化祭。そしてあたしが目にしたのは、中学の頃から変わらない高瀬くんが、女の子にたこ焼きを食べさせてもらっている姿だったっていう爆笑必至の今となっちゃネタですよ当時はほんとに笑えなかったんだけど。本気で立ち直れないと思ってたんだけど
まあそれはいいんです。それから月日が経って、あたしはすっかり高瀬くんのことを忘れていました。時間ってほんと怖い。や、完全に忘れたわけじゃなく、ミクシで高瀬くん見つけてうろたえたり、今頃どうしてんだろうなーとかぼんやり考えたりはしてたんですけど。あれですよ、すきになった男の子はあたしの中で伝説になるんです。え!意味がわからない?伝説は伝説ですよ。八つ裂きにすっぞ。まあいいんですけど、この間の成人式と地元の同窓会で、高瀬くんに、久しぶりに会ったんです。
すごかった。一瞬でわかった。背が高いっていうのもあるし、坊主頭で目立ったっていうのもある、もしかしたら無意識のうちに探してたのかもしれない。でも、声をかけることなんて到底出来ませんでした。友達に「あき!高瀬くんおるで!写真撮ってもらいや!」と焚き付けられましたが、無理無理無理無理ってなりました。ああ、中学んときから全然変われてない。高校で猫被りは止めたはずやのに。すきな人とコミュニケーションを取る喜びや楽しさを、知っちゅうはずやのに。いざ高瀬くんを目の前にすると、中学時代のあの時のように、喉が詰まって、何の言葉も出てこない。結局成人式は、高瀬くんと目を合わせることすら出来ずに終わりました。
問題はその日の夜にあった同窓会なんですよ。大きな座敷に約六十人の大所帯が詰め込まれた居酒屋の一角で、あたしは中学のときの数少ない男友達と久々の再会を果たし、熱燗の日本酒をがしがし飲ませて喜んでいたのです。あたしは飲めば飲む分出る体質なので、何度もトイレのために席を立つのです。あれは何度目に「トイレ!」と言ったときだったか。スリッパの数が少ないのでもう自分の靴でいいや、と履物天国の名から我がドクターマーチンを捜し出そうとしていたのです。
「何探しゆうが?」
あ
「靴?」
高 瀬 くん
「あっちにスリッパあったで、ちょっと待って」
高瀬くん、
高瀬くんや
「はい」
とん、と音を立てて、高瀬くんがスリッパをあたしの足元に置いてくれました。
「あり、がとう!」
「うん」
高瀬ー!と呼ぶ声がして、高瀬くんは座敷にまた戻っていきました。
ああ、どうしよう、身体がふわふわする。今のはなんだ?夢?酔っ払いの見る幻影か?何が何だかわからず、何とか用を足してトイレから出たあたしは、また靴置場に高瀬くんの姿を見つけたのです。
今、だ。変わったよって、あの頃よりはましになったよって、知ってもらうなら、今だ!
「っ、みんな、めっちゃ酔っ払いっちゅうね!」
少し詰まりながら、あたしは高瀬くんに話し掛けました。
「ほんまで。ほら見て、山下とか真っ赤っ赤」
「ほんまや。てから高瀬くんさっきから空いたグラスとかお皿下げたり飲み物持ってったりしかしてなくない?ちゃんと飲みゆう?」
「飲みゆう飲みゆう!何かふらふらするもん」
「ははは、あたしもふわふわする」
「えー、真似しなや」
「そっちやろー」
うあ、嘘みたい、に、あたし今高瀬くんと話しゆう、冗談言い合いゆう。うあー、口が勝手に動く、ふわふわする。お酒の勢いってすごい。
「高瀬くん」
「ん?」
「あの、あとで一緒に写真撮って欲しい!」
「おー、かまんよ、勿論」
あー!もう!これは!夢!決定だ!!夢じゃなきゃこんなこと出来ない。ふわふわ。あたしはすぐさま自分の席に戻り、鞄からカメラを取り出して、胡坐をかいている高瀬くんの左隣に座りました。
「デージータールーカーメーラー」
「ドラえもんや!ドラえもんがおる!」
「こんにちはドラ美です」
「似てないしそれ妹やき!」
あああ。馬鹿だなあ。このひと面白いなあ。あたしは笑いながら、向かいにいた友達にカメラを預け、ピース。光るフラッシュ。友達は「いつの間にか写真の話したが?!」とびっくりしていました。あたしは本当に、高瀬くんと普通に喋れてることが奇跡にしか思えなくて、あたしもうすぐ死ぬのかも、ぐらいの意識でいました。
「ありがとう、高瀬くん」
「全然かまんよ」
「…ってか、あたしのこと覚えちゅう?」
「覚えちゅうって。一緒に生徒会やったやん」
あたしは、嬉しくて、嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくてしょうがなくなって、もう辛抱たまらん!ってなって、高瀬くんの左肩を右手で、がっ!と掴みました。
「…もー、ほんまにすきやったがってー」
「うん」
「ごめ、あたしただの酔っ払いや」
「あんときよ、すきって言ってくれたもんね」
「覚えてくれちゅうがやねー…」
「うん。あのときはごめん」
そう言って、高瀬くんは、あたしの頭を、ぽんぽん、と叩いてくれました。
その瞬間、一気に押し寄せる記憶の波。初めて姿を見た日の夕方。重いからって運んでくれた椅子。サッカー部の掛け声。部室。廊下で笑う姿。雨の日の練習。体育館。課外活動で作った下手糞な手打ち蕎麦。あの子の頭をこづく腕。日焼けした身体。小学校の卒業アルバム。大きな爪。候補者スピーチ。毎週金曜、生徒会議室での給食。挨拶運動。さむいひ。学ラン。振られた日、綺麗な夕焼け。自転車置き場。友達と泣いた階段。バレンタインチョコレート。探した後ろ姿。散髪。記念マグ。もらえなかった第二ボタン。汽車の窓から姿が見えたような気がした冬の日。文化祭。紙テープ。たこ焼きの匂い。スーツ。変わらない、変わらない、格好いいね、優しいね高瀬くん、高瀬くん、が、今あたしに
ああ、あたし何であのときもっと手を伸ばさなかったんだ。すぐに、触れたのに、近くにいたのに、こんなふうにすぐに触れたのに、ああ、ああ。中学生ってそんなに非力だったのか?もうわからない。もうどうしようもない。ただただ、撫でられている頭が、嬉しい。
その時、後ろから声がして、一緒に飲んでいた友達に「戻ってこい」と手を引っ張られ、高瀬くんと離されました。あたしはもう、十二分に満足して、浮かれに浮かれ、飲んで飲んで、二次会でも男子に混ざって後先考えずに飲んで飲んで飲んで、気付いたら家にいました。朝方でした。タクシーで家まで連れていってくれ、部屋まで抱えてくれた幼なじみの言うことには「ずっとごめんなさいごめんなさいって謝ってた。謝りながら泣いて吐いてた」とのことです。何の病気だ。大まかな流れは覚えてるけど細かく思い出せない。今回の件で幼なじみは我が家のヒーローから神になりました。もう彼の嫁になろうと思います。なりません(なれません)。その話を聞いてまたごめんなさいごめんなさいと泣きました。あたしは幼なじみのことも、一緒に飲んだ友達も、女ひとり混じって飲みに行ったあたしを心配して待っていてくれていた友達もみんな大すきで、本当にすきですきでしょうがなくて、あたしは馬鹿だ、嫌われたくないと泣きました。色々とどうしようも無い人間っぷり
を改めて痛感したのですが、今日も変わらずみんな大すきなのでよかったなあと思います。これからもみんな大すきなのでそれだけを頼りに生きていこうと思います。お酒に関する自分の限界を知りました。悔しいけれど認めざるを得ない。あたしはあまりに酔うと、吐く。吐くんだよ…――
ていうかちょっと聞いてくれますか、帰ってきたあたしを見たお母さんは幼なじみにめちゃめちゃお礼を言って、死んでるあたしの化粧を落とそうと何故か除光液をティッシュに染み込ませて丹念にあたしの顔を拭き、あたしが痛い〜痛い〜等と呻きだして(覚えてない)初めてこれが化粧落としでないことに気付き、あわてて蒸しタオルで何度も何度も顔を拭き直し、除光液が目に入ったら失明する、救急車!と騒ぎだすお父さんと喧嘩を始め、妹は「酔うたあきのせいで家庭崩壊の危機を感じた。ゲロ臭い危機を感じた」とコメントを残しました。この事件は後々我が家で「号泣マーライオンのときめき事変」として歴史に刻まれる出来事になったという…
で、何の話でしたっけ。