古い友人のお姉さんが亡くなった。
川沿いが桜色に染まる少し前のことだった。
友人をYちゃん、お姉さんをRさんとしよう。Rさんは私たちより2つ年上で、とても、とっても絵が上手な人だった。同じように絵を描くことが好きだった私とYちゃんは、Rさんに多大なる影響を受け、当時まだたくさんいたお絵かき仲間たちと、Rさんはすごい、Rさんのように上手くなりたいと話したものだった。
交換漫画という遊びをよく覚えている。交換ノートの漫画版のようなもので、ファイルブックにルーズリーフを入れ、数人で自分の描いた漫画を順番に見せ合うのだ。漫画雑誌の連載形式で、「たんとうは◯◯でーす!」という文言とタイトルロゴを入れた表紙に本編、最後のページに続く…という引きを入れ、後書きもあったりする。Rさんはご自身の同級生の絵描き友達(これまた恐ろしく上手い人だった)、Yちゃん、そしてYちゃんの友人である私たちを含めたメンバーでこの遊びをしてくれていた。大体1ヶ月に1〜2回くらいのペースで回ってくるそのノートを開き、Rさんの漫画を読むのは私にとって大きな楽しみだった。Yちゃんから「姉ちゃんがあきちゃんの漫画を褒めてたよ」と聞いたときは、飛び上がって喜んだりもした。Rさんを参考にしてイラストを描いたりもしたし、少しでもRさんに近付きたいと思っていた。私にとっては本当に憧れの存在で、Yちゃんの家にお邪魔したときにRさんがいると物凄く緊張したし、上手く話せた記憶も全く無い。YちゃんはRさんをとても慕っていたし、長女だった私にとって絵が上手いお姉さんというのは本当に羨ましくもあった。ふたりは私にとって理想の関係だったのだ。
やがて私とYちゃんは別々の高校に進学し、それ以降ほとんど会わなくなった。もちろんRさんとも。また、高校進学と共に、私は思うところあって絵や漫画から離れようと思っていた。だけど、Rさんが個人的にやっていたイラストサイトは陰ながら見ていたし、やがてサイト自体の更新が無くなってからも、なんとなくRさんはずっと絵を描いていくのだろうと確信していた。描くのをやめたRさんなど想像がつかなかった。
そして、やめるやめると言いつつも、結局私も絵や漫画を描くことから完全には離れられなかった。逃げたりもがいたりしながらも、どうにかこの気持ちに対して自分の中での着地点を見つけようと右往左往している。これは現在進行形だ。今に至るまで私が絵や漫画に執着しているのは、きっとRさんの漫画を初めて読んだときの、「こんなものが描けるなんて」という憧れと嫉妬がないまぜになった、幸せなような泣き崩れたいようなあの感覚を味わってしまったからだ。雑誌に載っている美しく楽しい絵や漫画は、空の上の神様が人智を超えた力で作っているんじゃなく、Rさんのような自分と同じ人間が描いているのだということをまざまざと思い知らされたあの絶望感と高揚感。身近な人がその域に向かって走っているという衝撃と焦燥。あの年齢で身近にああいう人がいた、というのは本当に大きかったと思う。Rさんは真剣に、プライドを持って描いていた。向き合うことを怖がった私にとって、本当に眩しい姿勢だった。
訃報を聞いたとき、なぜ、という気持ちで頭がいっぱいになった。だけど、考えたところでどうにもならない。私はRさんの人となりをほとんど知らないに等しかった。絵や漫画を通してでしか接したことが無かったからだ。Yちゃんのように並んでゲームもしなかったし、一緒に画材屋にも行っていない。趣味思考、喜怒哀楽、Rさんのことは何もかも紙とペンを通して想像するしかなかった。そうやって眺めるRさんのことが好きだったのも事実だった。でも、それももうできない。まさかこんな形で終わってしまうなんて思ってもいなかった。携帯電話を握り締めて私はしばらく呆然としていた。そして、私なりのお悔やみの気持ちと共に、次に帰省するときに御線香をあげに行くね、と伝えた。
当日、私は母に車を出してもらい、実家から10分ほどのYちゃんの家に向かった。久し振りに見る田んぼの景色。道がうろ覚えだったのだが、近所までYちゃんが迎えに来てくれた。会うのは5年ぶりだった。Yちゃん結婚したがでね?あきちゃんもね。なんかウケるでね。なんて、近況を話しながらお家までの坂を歩く。玄関先に尻尾がくるりと丸まったワンコがおり、こちらを見てワンワンと吠えた。こんにちは、と手を振りながら靴を脱ぐ。小学生くらいの女の子が、玄関の横の部屋からひょっこりと顔を覗かせて、照れ臭そうに挨拶をしてくれた。Yちゃんの姪っ子だという。
お墓は決まっているが納骨はまだしてないらしく、Rさんのお骨はお仏壇にあった。遺影のRさんは、当たり前だけど私の記憶よりも大人っぽくなっていた。大人っぽくっていうか、大人だった。そしてYちゃんも私も、大人だ。私たちは、すっかりいい大人になってしまった。
お仏壇の傍らには、Rさんの絵が並べられていた。ほぼYちゃんが選んで置いたものだと聞いた。Rさんは基本的にアナログ派で、スクリーントーンも極力使わない、書き込みの多い作風だった。ペンタッチも美しく、キャラの顔も生き生きとしている。どれも、とても素敵な作品ばかりだった。あの頃よりも更に素敵になっている。デジタルツールを使ったカラーイラストも美しかった。創作も二次創作もどれも見応えがあった。そして、見れば見るほど、どうして、どうしてなんだろう、という気持ちが頭をぐるぐると回った。きっとYちゃんは私以上にその気持ちを抱いたまま、今に至っているはずだ。
思い出話はやはり絵や漫画のことが大半になった。Yちゃんは、自分がどれだけRさんに影響を受けてきたかをぽつぽつと話してくれた。悲劇的ではなかったが、終始どこか諦めのつかないような、複雑な表情をしていた。
「しばらく絵を描いたりしやせんかったけんど、この間久し振りに描いたら楽しかった。ああ、これからはもっと描こうって思った。くさいけんど、Rの代わりに、Rの分までって。そう思うよ」
私は、言葉が見つからなかった。
ただただ、うん、と言うしかなかった。
死ぬとはどういうことなのだろう。なぜ生まれなぜ生きるのだろう。私にはわからない。きっと死ぬまでわからないのだと思う。死んでもわからなかったりして。わかったとしても、その時にはもういない。それが死ぬということなのだろうか。なんかややこしいなあ。
私たちはまたなんとなく思い出話を続けた。あの頃の私たちはどんな子だったっけ。他人のことよりも、過去の自分の話の方がよっぽど他人事のように思えるのはどうしてだろう。
これから生き続けていく上で、出会ってきた数と同じだけきっと別れも訪れる。自分にも順番は回ってくるだろう。その日が来たとき自分はどんな気持ちでいるのだろう。Rさんはどんな気持ちだったのだろう。魂の存在を信じるとしたら、今の私たちはふわふわ浮かぶRさんの魂にどう映るだろう。相変わらず想像するしか出来ないけれど。
「あれ?奥で赤ちゃん泣きゆう?」
「ん?あ、うちの子ども」
「えっ?」
「あたしの息子」
「Yちゃん子ども産んだが?!」
Yちゃんのお姉さんが赤ちゃんを抱いてやって来た。赤ちゃんはYちゃんの腕に収まってやっと泣き止む。私は心底びっくりして、思わず笑ってしまった。もうすぐ2ヶ月ながよ、とYちゃんはお母さんの顔をして微笑む。お姉さんが亡くなってお子さんが産まれて、しかも同時期に交通事故で入院したりもしていたらしいYちゃん。さぞかし激動の日々だったことだろう。それでも私に連絡をくれたことをとても有難く思う。新しい命のほっぺたを撫でながら、楽しいことをなるべくたくさん見つけてね、この世はクソだと思うと本当にクソみたいな日々になりますからね、と説教臭いことを思った。
Yちゃんのご家族に挨拶をして、ワンコに再び吠えられながらYちゃんのお家を後にした。まだRの絵の整理全部は終わってないがやけど、原画とか、よかったらあきちゃんにもあげるねとYちゃんが言ってくれたので、私はその厚意に存分に甘えることにした。また連絡すると言い合い、手を振って別れた。とても天気の良い、なんでもない秋の日のことだった。